門司駅の海側。

赤煉瓦プレイスというところで、写真家の友人がスタジオをやっている。

彼が、開催した能楽師を招いてのトークイベント。

平清経が入水した海の前。

友人は、清経のエピソードを紹介するペーパーを作っていいと言ってくれた。来場者に渡してくれると。添削もしてくれた。

少し早めに会場に行くと、友人は京都に住む能楽師の宮本茂樹さんを紹介してくれた。以前、下関出身の能楽師を検索した時に、ヒットした方。

「古民家に住んでらっしゃいますよね、大原なんですよね?」

「そうなんですよ。大原なんです。」

下関の能楽師の家庭で生まれて・・・京都の大原へ・・・。

人間も、目に見えないものを触角のようなもので感じながら、その場所に引き寄せられたり、人と出会ったり・・・ワンピースじゃいなけど、伏線があったりする。その意味は時間が経って、その意味がわかるというか、点と点がつながって、その意味の輪郭が見えてきたりする。

イベントで宮本さんは、平清経のことを取り上げてくださり、「清経」という作品の、清経が入水するまでのシーンの謡をやってくれた。

感謝しかなかった。

この数年、このことを、願ってた。祈ってた。

あそこで、清経の謡をすることを。妄想したり、想像してた。

誰がやってくれる?誰に頼める?

お金もないし、能の世界に知り合いもいない。

音というのは、空気に溶けていく。空気の振動。

それは、時空を越えるという。

 

その写真家の友人は、門司の、北九州市の人でもない。だけど、きっと、その場所に縁があって、そこでスタジオをしているのだと思う。

わたしが、あの場所で育った事も、きっと意味がある「点」なのだとは思う。

会場を出て、海を見た。

彦島が真前に見える。

海に、感謝を送る。

清経の物語に感謝を送る。

清経の命に、感謝を送る。

友人と能楽師に、感謝を送る。

生きてること、経験できること、感じられることに感謝・・・歓びを感じる。

ありがとうございました。