門司駅の海側。
赤煉瓦プレイスというところで、写真家の友人がスタジオをやっている。
彼が、開催した能楽師を招いてのトークイベント。
平清経が入水した海の前。
友人は、清経のエピソードを紹介するペーパーを作っていいと言ってくれた。来場者に渡してくれると。添削もしてくれた。
- 柳ヶ浦で入水した平清経|柳ヶ浦で能のトークライブがある。 2025年7月16日
少し早めに会場に行くと、友人は京都に住む能楽師の宮本茂樹さんを紹介してくれた。以前、下関出身の能楽師を検索した時に、ヒットした方。
「古民家に住んでらっしゃいますよね、大原なんですよね?」
「そうなんですよ。大原なんです。」
下関の能楽師の家庭で生まれて・・・京都の大原へ・・・。
人間も、目に見えないものを触角のようなもので感じながら、その場所に引き寄せられたり、人と出会ったり・・・ワンピースじゃいなけど、伏線があったりする。その意味は時間が経って、その意味がわかるというか、点と点がつながって、その意味の輪郭が見えてきたりする。
イベントで宮本さんは、平清経のことを取り上げてくださり、「清経」という作品の、清経が入水するまでのシーンの謡をやってくれた。
感謝しかなかった。
この数年、このことを、願ってた。祈ってた。
あそこで、清経の謡をすることを。妄想したり、想像してた。
誰がやってくれる?誰に頼める?
お金もないし、能の世界に知り合いもいない。
音というのは、空気に溶けていく。空気の振動。
それは、時空を越えるという。
その写真家の友人は、門司の、北九州市の人でもない。だけど、きっと、その場所に縁があって、そこでスタジオをしているのだと思う。
わたしが、あの場所で育った事も、きっと意味がある「点」なのだとは思う。
会場を出て、海を見た。
彦島が真前に見える。
海に、感謝を送る。
清経の物語に感謝を送る。
清経の命に、感謝を送る。
友人と能楽師に、感謝を送る。
生きてること、経験できること、感じられることに感謝・・・歓びを感じる。
ありがとうございました。