「三種の神器」ってなに?

そんなに大切なものなの?

正直なところ、その程度にしか考えた事がなかった。

二位尼が安徳天皇を抱いて壇ノ浦の海に入るとき、三種の神器も一緒に海へ。その後八咫鏡(やたの鏡)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は見つかったとか。だけど、草薙の剣は見つからず、壇ノ浦に沈んでいるとか。

だけど、本物の草薙の剣は、静岡県の熱田神宮にあるとか。

じゃぁ、壇ノ浦に沈んでいる草薙の剣は???

「形代」と言われるもので、レプリカらしい。が、力というか、あるらしい。

南北朝の、二つの皇室があった時代、足利幕府はこの壇ノ浦に沈んだ草薙の剣を探したらしい。それが、平家物語・犬王の巻の物語の始まりになる。

草薙の剣は、日本武尊が持っていたそうだ。その剣を置いて行った時に、亡くなったらしい。

日本武尊は、神功皇后のご主人の仲哀天皇のお父さん。

で、この草薙の剣というのは、元々は、素戔嗚尊が、八岐大蛇を退治した時に、八岐大蛇の尾から出てきた、らしい。

「らしい」が多いのは、そうどこかに書いていて、実際に私がみてさわって、その経緯を経験したわけではないので、そういうものは「らしい」という。

最近、思うのが、私たちが子供の頃に聞いた「日本の神話」は、すごく限られていて、知らない神様や、神話が多くあるというか、隠されてるのかもとか・・・。

 

権力の闘争のようなものに使われた草薙の剣が出てこなかったことも、宇宙の長い時間の中では、必然だったのかもとも思う。

関門海峡・・・。

権力の闘争・・・か。明治維新・・・。

私たちは、本当の歴史を知らないというか、勝者がつくるもの。少なくとも、太平洋戦争後は、アメリカが作った歴史を私たちは教えられ、学校で学び、信じて生きてきて・・・なんの因果か、戦争の歴史を追い、ガイコクを旅して、何かがおかしい・・・私たちが学んだ、知ってる歴史は、なんかおかしいって、気付いた・・・。

草薙の剣が眠る「門司」と「馬関(下関)」の間の「関門」。ここは、歴史の紐解きの関門でもあるのかもしれない・・・とか、ね。