志賀島の志賀海神社に、ご挨拶というか、行きたいな、と、平家のことから、神功皇后シリーズが始まってから思っていました。
その時に、出光佐三さんが復興させた宗像大社に行こうと。
佐三さんがなんというか、よくしてくださってた門司の甲宗八幡宮には、立派な能舞台があり、いつか、「鎮魂」の平家にまつわる舞台ができたらいいな・・・。でも、変わり者で、個人主義みたいな、敵を作りやすい私が、それがしたいと言ってできることじゃないので、神頼みというか、佐三さん頼みに行こうと。
昨日、行ってきました。
猫達にご飯を食べさせ、朝、5時半に出発。私は運転があまり得意じゃないし、ETCもつけてないので、一般道を、ちんたら行く。
朝、7時に到着。8時にはお詣りを済ませて、10時には新宮にあるIKEAに到着しようと思っていたら・・・
神宝殿がみたいと思ってたけど、9時からなので、今回は先を急ぐので諦め、お詣りをして、ゆっくり境内を歩き、駐車場に向かった。8時半くらいだった。
駐車場の手前に、テントがあり、観光案内のパンフレットが並び、「ボランティアガイド」というのがありました。
いろんなパンフレットが並び、気になったので、テントに行き、「佐三さんに関するものはありませんか」と。
「今日は、佐三さん目当てで来たんです。」なんて言っていたら、女性のガイドさんが、いろんな話をしてくださいました。
宗像の赤間の町には、佐三さんの生家があり、宗像には佐三さんのお墓もあるそうです。佐三さんには、二つのお墓があり、一つは東京だっけかに、とても尊敬する大切な人のお墓の横にひとつ。そして、宗像に一つ。分骨して二つの墓を作ったそうです。
生家はいつも開いている訳ではなく、お祭りとか、イベントの時だけに開くそうです。
赤間の町には、「出光佐三展示室」というのあがり、そこの方々は、毎月、小月命日には佐三さんのお墓参りをするそうです。
宗像大社には、佐三さんのお名前を残さなかったそうです。
朝、大社に到着したときに、トイレに行ったのですが、トイレの建物の横に、
額が多くても、出光関連の寄付は下の段に。これをみた時に、「そういう方」(←うまく言葉で説明できない)だったんだ・・・と感じ、写真を撮っていました。
あと、「鎮国寺」のお話も印象的でした。
「鎮国寺」弘法大師空海が、唐から帰国し、福岡の博多に着き、まず宗像大社に礼参され、鎮国寺を創建したそうです。
「え!ここが帰国後一つ目のお寺ですか!え?二つ目は、門司の戸の上山のところらしいの。明治時代で神仏を分けたでしょ、それで、ほとんど無くなって、今は、すごく小さい小屋みたいなのになってる」
今、鎮国寺のパンフレットを見て気づいたのですが、
宗像三柱の御本地仏として
- 市杵島姫神→薬師如来
- 田心姫神→大日如来
- 湍津姫神→釈迦如来
の三尊を刻み、本尊としたそうです。これが、よく言われる、神道の神様と仏教の神様が融合されていく流れというか、宗像三女神はこうして仏教に融合されていったのかもしれないです。
鎮国寺が・・・なんて言ってたかな・・・荒廃してきて、修理とか色々しなくちゃいけない時に、鎮国時さん、お金がなくて、佐三さんに借りに行ったんだと。それで、数年してお返しに行ったら、そのお金は宗像のお神様に使ったものだからと、受け取らなかったとか。
その後、ガイドさんに勧められた、宗像大社の横にある「海の道 むなかた館」に。
「勾玉づくり 200円」というのがあり、10:00、 11:00・・・と。時計を見ると丁度10時。やってみることにしました。
学芸員の男性が教えてくれます。いつもは、子供達がいっぱいらしいのですが、その時は私ひとり。ここでも、いろんなお話を聞くことができました。
結構、上手くできました。
勾玉づくりが終わって、「海の道 むなかた館」を色々見ていたら、勾玉づくりの学芸員さんが「しらいしさ〜ん!これ、やったらいいですよ!!!」と。
女人禁制の島、沖ノ島のVR。バーチャルリアリティ。
この島も、佐三さんのお陰で調査ができたらしいんだけど、VRで行くと、祭壇などは大きな岩なんです。磐座信仰というか。
平清盛が大切にした宗像三女神の厳島神社がある宮島も、「弥山」というのがあり、大きな岩がいっぱいあって、磐座信仰で、ここも空海ととてもゆかりが深い島。
そういえば、宮島でも、神仏分離の影響をすごく感じました。
出光佐三さんを訪ねた宗像大社は、もりもり沢山で、気づけばお昼を過ぎていました。